日本一周の旅が始まったばかりの頃は、期待と不安が入り混じり「この先ちゃんと進めるのかな」と胸がざわついていた。
そんな序盤の時間を、静かに受け止めてくれたのが、和歌山の千畳敷と高野山・金剛峯寺だった。
夕陽に照らされた海の広がりと、寺の深い静けさ。
この記事では、その二つの場所が旅のリズムを整えてくれた理由と見どころを紹介していく。
【千畳敷】海の風と夕陽がそっと背中を押してくれた
千畳敷に着いたころには、空はちょうど夕暮れの色に変わりはじめていた。

和歌山県白浜町にある千畳敷は、白浜を代表する観光スポットのひとつで、夕陽の名所としても知られている。
白く広がる岩盤は、何層にも重なった地層がそのまま露出したような造形で、長い年月の積み重なりを目で見て感じられる。その上に立つだけで、自然の力強さが伝わってきた。
波が寄せては返し、風が岩の間を抜けていく音が、心をゆっくり整えてくれる。

旅を始めてまだほんの数時間なのに、心の中には「この先、どんな景色に出会えるだろう」という静かな高鳴りが芽生えていた。同時に、長い旅に踏み出したばかりだからこその不安も確かにある。
その両方が混ざり合う感覚こそが“旅の始まり”なのだと、この場所に立って気づいた。
広く開けた千畳敷の景色を前にしていると、胸のざわつきが海風の中にほどけていく。
「まぁ、なんとかなるか」――そんな軽い気持ちが自然と湧いてきたのも、この場所の力なのかもしれない。

旅の序盤に訪れるには、これ以上ないほど優しい景色だった。
【千畳敷 情報】
住所: 和歌山県西牟婁郡白浜町
アクセス: 白浜駅から車で約20分
駐車場: 無料駐車場あり(千畳敷のすぐ近くに約30台分)
営業時間: 24時間見学可能
料金: 無料
特徴:
・太古の砂岩が波と風に削られてできた白い岩盤
・夕暮れの名所で、水平線に沈む夕陽が見られる
・海風が強く、波が高い日は飛沫が上がることも
・撮影スポットが多く、足元は滑りやすいので注意
公式サイト:https://www.nankishirahama.jp/spot/531/
【龍神温泉】で迎えた静かな夜と、温泉で整う朝
千畳敷をあとにして、山あいへ向けてバイクを走らせた。
その日の宿は、和歌山県田辺市の山間部にある龍神温泉(りゅうじんおんせん)。
龍神温泉は、和歌山県を代表する温泉地のひとつで、“美肌の湯”としても全国的に知られている。
深い山に囲まれ、川の音だけが静かに響く温泉地には、旅の途中とは思えないほど穏やかな空気が流れていた。
宿に着くころには空は暗く、夜気の中に湯けむりがふわりと立ちのぼっている。
龍神温泉は“日本三美人の湯”にも数えられる湯質で、肌に触れた瞬間からしっとりと包み込まれる感覚がある。
長距離を走って冷えた体で湯船につかると、温かさが奥まで染み渡り、旅の緊張が少しずつほどけていった。
目を閉じて深く息を吸い込むと、張り詰めていたものが静かに溶けていく。こうした“何もしない時間”が生まれるのも、山あいの温泉ならではだろう。
翌朝は少し早めに起きて朝風呂へ。
澄んだ空気と川の音に包まれながら湯に浸かると、山の色がゆっくり変わり、新しい一日が静かに始まっていく。
肌に残る湯の感触が心地よく、「今日もいい旅になるはずだ」と自然に思えた。
湯を出てバイクにまたがり、高野山へ向かう道――371号線・高野龍神スカイラインへ。
深い山の中を縫うように続くワインディングは、走るたびに景色が表情を変える。
標高が上がるにつれて空気は冷たくなり、ヘルメット越しにも風の匂いの変化がわかる。
静けさの中にエンジン音だけが響き、その一定のリズムが自分のペースを整えてくれた。
山を越えていく道のりの中で、「今日もいい旅になる」――そんな確信が静かに芽生えていった。
【龍神温泉 情報】
住所:和歌山県田辺市龍神村
アクセス:高野山・田辺市街から車で約1時間〜1時間30分
泉質:ナトリウム炭酸水素塩泉(肌あたりが柔らかく“日本三美人の湯”としても知られる)
効能:疲労回復、筋肉痛、冷え性、皮膚の保湿
特徴:山あいの静かな温泉地。川沿いの宿が多く、夜はとても静か
雰囲気:湯けむりが立つ素朴な温泉街。旅の疲れがじんわり抜けていく“癒しの場所”
公式サイト:https://www.motoyu-ryujin.com
【高野山・金剛峯寺】広い空気の中で感じた“静けさの深さ”

龍神温泉から高野山へ向かう道は、標高が上がるにつれて空気がひんやりと変わっていく。
深い山を抜け、高野山の町へ入ったのは午前10時前だった。
街全体が、外の世界とは切り離されたような静けさに包まれている。
金剛峯寺(こんごうぶじ)の門の前に立つと、空気がすっと切り替わるような感覚があった。
高野山真言宗の総本山として知られる寺で、門をくぐった瞬間に外のざわつきが背後へ遠ざかっていく。
寺の内部も、ゆっくり歩いて見て回った。

長い廊下、縁側から見える手入れの行き届いた庭、障子越しに差し込む柔らかな光。
どこを見ても“余白”が美しく、音を吸い込むような静けさがただ広がっている。
中でも印象に残ったのは、日本最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」。

白砂で描かれた曲線は、雲海の中を龍がうねるように進む姿を表しているとされ、静かな中にも強い躍動感がある。
高野山は世界遺産にも登録されており、金剛峯寺はその中心となる寺院として、観光と信仰の両面から多くの人が訪れる場所だ。
千畳敷で感じた“開放の景色”とは対照的に、金剛峯寺は“心が整う静けさの景色”だった。
旅の途中で、まったく違う種類の時間が続けて訪れる贅沢を深く味わう。
春先の高野山は午前中でも冷え込むため、軽めの防寒具があると安心だ。
街全体の落ち着いた空気も含めて、高野山は「歩く時間そのもの」がご褒美になるような場所だった。
【金剛峯寺 情報】
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山132
参観時間:8:30〜17:00(最終受付16:30)
参観料:大人1,000円/小学生300円
駐車場:境内周辺に無料駐車場あり(台数に限りあり)
所要時間:ゆっくり巡って60〜90分ほど
見どころ:日本最大級の石庭「蟠龍庭」、狩野派の襖絵、静けさに満ちた中庭、格式ある大広間
雰囲気:歩くたびに音が吸い込まれるような静けさがあり、心が自然と整う落ち着いた空気感
公式サイト:https://www.koyasan.or.jp
こうして旅は、静かに“形”になっていく
千畳敷の開放的な景色と、金剛峯寺の深い静けさ。
同じ和歌山の中で、これほど違う時間が流れていることに驚かされながら、旅は静かに続いていく。
特別な出来事があったわけではない。
けれど旅では、こうした“静かな時間”が積み重なることで、気づいたときには大きな思い出になっている。
地図を開けば日本中に道があり、どこへでも行ける。
そう思える感覚そのものが、旅の一番の贅沢なのかもしれない。
この先どんな景色と出会うのだろう。
その期待を胸に、ハンドルを少しだけ前へ倒しながら、旅は続いていく。

